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★《5人組や、5人組の仲間達》
『5人組や、5人組の仲間達』は、「自分が批判された」と、周りにいる人に表現する(記事No.317)
【★1。『5人組や、5人組の仲間達』は、批判された場合、「〇〇と批判された」という趣旨の内容のことを、周りに居る人などに言う】
<1>。「自分は批判された内容を、気にしていない有能である」、「自分は相手の攻撃が効いていない有能である」と、いう周りに居る人などへの、自分の有能さの表現である。
<2>。「有能の自分に、低能者が、反発している状態である」と、いう周りの人への、自分の有能さの表現である。
①。自分が低能であると認識している場合に、低能の状態に困っている(負けそうな)自分を隠そうとする表現である。
②。自分が有能であると妄想している場合に、自分の快楽を周りの人に提示して、自分の有能さや、快楽などの同意を求める。
③。相手より自分の方が有能であると、差を妄想して、快楽を得る。
<3>。批判により、傷付いた(動揺した)感情を、周りの人に癒して(励まして)欲しいという表現である。
①。自分は批判されたけど、「この批判に、周りの人はどう思う?」、「この批判に、周りの人は、どのように処置(行動、反逆)したい?」という表現である。
など。
<4>。「私は批判された被害者の状態である」という、周りの人への表現である。
①。「私を批判した相手は、悪い人である」という、周りの人への表現である。
②。「自分が被害者であり、相手は加害者の悪人であると、相手を批判している」表現である。
(1)。相手を悪人であると提示することで、相手を攻撃する理由を作り、相手を攻撃することへの罰から逃れようとする表現である。
(2)。相手を悪人であると提示することで、相手を攻撃する理由を作り、仲間の助力を得ようとする表現である。
③。「批判された」という主張で、相手が悪人であり、相手を攻撃する理由が出来たという妄想(価値観)は、間違いである。
<5>。批判されている内容(理由)が、真実の正しいもの(正義)であるならば、批判を言っている人は正しい人あり、批判することは正しいことである。
つまり、批判されている内容(理由)が、真実の正しいもの(正義)であるならば、現実の真実の状態では、批判を言われている人が、悪人である。
①。批判している人が全て悪人ではない。
②。批判していることが、全て悪事では無い。正しい批判も有る。
③。だから、「批判された」という主張で、相手が悪人であり、相手を攻撃する理由が出来たという妄想(価値観)は、間違いである。
<6>。「私は〇〇ではないのに、〇〇と言われた」という、相手が間違えている低能者であると、いう周りの人への、自分の有能さの表現である。
①。相手が間違っていて、自分は低能者ではないと、いう周りの人への、自分の有能さの表現である。
②。「相手が間違ったことを言っている」と、いう否定(批判)の表現である。
③。「相手が変なこと(おかしなこと、正当ではないこと)を言っている」と、いう否定(批判)の表現である。
<7>。現実の真実としては、相手が正論を言っていることが多い。
①。現実の真実としては、「内容の意味が理解できないだけ」であることが多い。
②。現実の真実としては、「相手の正論を受け入れたくない(同意したくない)だけ」であることが多い。
<1>。「自分は批判された内容を、気にしていない有能である」、「自分は相手の攻撃が効いていない有能である」と、いう周りに居る人などへの、自分の有能さの表現である。
<2>。「有能の自分に、低能者が、反発している状態である」と、いう周りの人への、自分の有能さの表現である。
①。自分が低能であると認識している場合に、低能の状態に困っている(負けそうな)自分を隠そうとする表現である。
②。自分が有能であると妄想している場合に、自分の快楽を周りの人に提示して、自分の有能さや、快楽などの同意を求める。
③。相手より自分の方が有能であると、差を妄想して、快楽を得る。
<3>。批判により、傷付いた(動揺した)感情を、周りの人に癒して(励まして)欲しいという表現である。
①。自分は批判されたけど、「この批判に、周りの人はどう思う?」、「この批判に、周りの人は、どのように処置(行動、反逆)したい?」という表現である。
など。
<4>。「私は批判された被害者の状態である」という、周りの人への表現である。
①。「私を批判した相手は、悪い人である」という、周りの人への表現である。
②。「自分が被害者であり、相手は加害者の悪人であると、相手を批判している」表現である。
(1)。相手を悪人であると提示することで、相手を攻撃する理由を作り、相手を攻撃することへの罰から逃れようとする表現である。
(2)。相手を悪人であると提示することで、相手を攻撃する理由を作り、仲間の助力を得ようとする表現である。
③。「批判された」という主張で、相手が悪人であり、相手を攻撃する理由が出来たという妄想(価値観)は、間違いである。
<5>。批判されている内容(理由)が、真実の正しいもの(正義)であるならば、批判を言っている人は正しい人あり、批判することは正しいことである。
つまり、批判されている内容(理由)が、真実の正しいもの(正義)であるならば、現実の真実の状態では、批判を言われている人が、悪人である。
①。批判している人が全て悪人ではない。
②。批判していることが、全て悪事では無い。正しい批判も有る。
③。だから、「批判された」という主張で、相手が悪人であり、相手を攻撃する理由が出来たという妄想(価値観)は、間違いである。
<6>。「私は〇〇ではないのに、〇〇と言われた」という、相手が間違えている低能者であると、いう周りの人への、自分の有能さの表現である。
①。相手が間違っていて、自分は低能者ではないと、いう周りの人への、自分の有能さの表現である。
②。「相手が間違ったことを言っている」と、いう否定(批判)の表現である。
③。「相手が変なこと(おかしなこと、正当ではないこと)を言っている」と、いう否定(批判)の表現である。
<7>。現実の真実としては、相手が正論を言っていることが多い。
①。現実の真実としては、「内容の意味が理解できないだけ」であることが多い。
②。現実の真実としては、「相手の正論を受け入れたくない(同意したくない)だけ」であることが多い。
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