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★『5人組や、5人組の仲間達』

『5人組や、5人組の仲間達』が、よく言う台詞(記事No.319)

【★1。『5人組や、5人組の仲間達』は、言葉の意味の解釈が違う】

<1>。『5人組や、5人組の仲間達』は、言葉の意味を正しく認識(解釈)することが出来ない。

 ①。『5人組や、5人組の仲間達』は、事象を認識する能力に欠陥が有るので、事象を表す(知る、思考に使う)為の言葉の、意味の正常な認識も、出来ない。

 ②。『5人組や、5人組の仲間達』は、まともな人の『心と考え』を備えている人と、同じ言葉への、意味の認識が、違う場合が多い。

 ③。言葉の意味の解釈には『心と考え』が使われる。正常な『心と考え』が無いのならば、言葉を正常に認識することも出来ない。

 ④。『5人組や、5人組の仲間達』は、『心と考え』が正常ではなく、まともな人の『心と考え』を備えている人と違うので、選ぶ(使う)言葉も違う。

 ⑤。『5人組や、5人組の仲間達』は、まともな人の『心と考え』を備えている人と違う言葉を使うので、「『心と考え』を表現する為の言葉」、「必要とする言葉」は、「特徴」がある。

 ⑥。『5人組や、5人組の仲間達』の、使用する言葉は、『5人組や、5人組の仲間達』の『心と考え』の動き(思考、理論、状態、性格、物体など)を表現する。



【★2。『5人組や、5人組の仲間達』が、よく言う台詞】

<1>。「これ、あるからね」

 ①。相手の主張、行動などへの否定である。

 ②。「これがあるから、相手(の主張、の行動)はダメである(受け入れない)」と、いう主張。

 ③。イチャモンの理論からの否定であるが、この主張により、相手を否定する(受け入れない、攻撃する)理由を手に入れることが出来たと認識する。

 ④。相手が正しい(有能な)ことを行っている場合に、自分の低能の状態から、逃れようとして発言する。

   (1)。「相手が羨ましい」、「正しい(有能な)相手から、低能(悪人)な自分は攻撃を受けそうだ」などの考えからの発言。

 ⑤。相手が正しい(有能な)ことを行っている場合に、相手は低能であるという、周りにいる人への表現(誘導)である。

 ⑥。私は悪事をしているのではなく、「これが、あるから(相手が悪いから)」(悪事を)行っていた。と、いう主張である。

<2>。「まだやるの」

 ①。相手(状況)への否定(批判)である。

 ②。この否定は、善悪の判断からの、悪い方に向けられるのではなく、弱者の方に向く。

  (1)。自分はどちらの側に付けば得をするかの、相手の強弱の判断からの、批判の方向である。

  (2)。つまり、悪人の価値観からの発言である。

   ※補足1。一般的な人では、悪人の悪事を否定する場合に、悪人が強者だと判断していても、悪人に向かって発言されるが、『5人組や、5人組の仲間達』のこの発言の意味は少し違う。

 ③。「相手の有能な状態は、いつまで続くのか、いつ終わるのか」と、いう主張。

  (1)。相手の苦痛の状態を分かる場合、自分も苦痛を感じたり、何も出来ない自分を低能者(悪人)だと認識するので、その低能者(悪人)だという認識から、逃れようとする考え。

 ④。「終わる」という結果の為の、原因が無いが、状況が続くというのは、相手の有能な状態が続くことなので否定する。

  (1)。「終わる」という結果の為の、原因が無いが、状況が続くというのは、自分が低能な状態が続くことなので否定する。

  (2)。「終わる」という結果の為の、原因が無いが、「終わらないこと」への苦情は、問題点(着目点)が違うので、異常なことである。

   1。「悪いことが行われていること」への苦情が、正当である。「悪いことが行われていること」を解決すれば、終わるから。終わる為の正常な方法である。

   2。「原因が無いこと」への苦情が、正当である。「原因が無いこと」を解決すれば、終わるから。終わる為の正常な方法である。

   3。「悪いことが行われている」という、悪が問題で苦痛を受けているのである。

     「終われば、悪いことが行われている」という悪が、無くなるわけではない。

     悪が罰を受け、2度と発生しない処置がされた場合に、悪が無くなるのである。

 ⑤。相手を低能(自分は有能)だと認識しようと、努力している(妄想をしている)時に、発言されることが多い。

 ⑥。状況(状態)を低能だと認識しようと、努力している(妄想をしている)時に、発言されることが多い。

  (1)。状況を馬鹿にして、自分は「高みの見物」であると、いう妄想。

  (2)。無意味なことを行っている状況だという妄想。

    ※補足1。『5人組や、5人組の仲間達』は、無意味なことを行うが、『5人組や、5人組の仲間達』の無意味なことを阻止しようとする活動は、無意味ではない。

         見ている自分という存在が、阻止することが出来ない低能者であるという認識から逃れる為に、発言されることが多い。

<3>。「なんで、〇〇なの?」

 <例えば>

 1。「悪事を行ってはいけない」と、いう主張に、「なんで、悪事を行ってはいけないの?」という発言。

  ※補足1。悪事を行ってはいけないことは知っている場合。

  ※補足2。悪事を行ってはいけないことは知っているが、何故いけないのか、詳しく知らない(理解が出来ない)場合。

 ①。正論に対する否定。正論の内容を、そのままオウム返しにすることで、正論を批判する。

  (1)。相手が低能で、自分は有能であるという、妄想をする為の質問(表現)である。

   1。説明が出来ない人は、低能であるという妄想。

  (2)。「相手が間違っていることを言っている」と、いう表現。

 ②。自分は、その理論が「分からない人である」という表現。

  (1)。まともな人の『心と考え』を備えている人には、当たり前すぎて説明しない部分を、故意に、分からないと表現することで、相手を否定できるという妄想である。

   1。当たり前すぎて、言葉での説明が不要なものとして、当然備わっている『心と考え』からの認識が、理由(疑問への答え)である場合、言葉での説明は難しい。

   2。説明が出来ない(答えられない)相手は、低能であるという妄想。

   3。説明が出来ないのならば、理論は間違えているという妄想。

 ③。「それ以外にも受け取れる(曲解することが可能な)内容である」、「限定されていない(そうとは言い切れない)ことである」、という否定。

 ④。説明が出来ないのならば、「悪事を行っても良い」、「悪事を行っていけない理由など無い」という価値観(解釈)。

  (1)。「自分以外は低能者であり、分からない(説明が出来ない)ことに、ただ従っているだけであると、いう解釈」

 ⑤。当然なことが分からない人に説明しても、当然なことが分からない人は、分かることは出来ない。

  (1)。説明することが無駄(無意味)であると判定すると、まともな人の『心と考え』を備えている人は、無駄(無意味)なことは行わない。

  (2)。まともな人の『心と考え』を備えている人は、正論への相手の批判が、相手の低能を表していると、現実の真実を認識している。

  (3)。現実の真実として、当然なことが分からない人は、悪人(欠陥品)である。

<4>。「私も」。

  ※補足1。現実の真実として、同じである場合ではない。

 ①。他人が有能者であると、自分も他人と同じであるという主張(モノマネ)を行う。

 ②。他人の意見に便乗する(他人を利用する)。

  (1)。生理的に、相手が嫌がると認識していて、故意に、行う場合も多い。

  (2)。本当は、「何も意見を持っていなかった」、「別の意見を持っていた」などの場合に、「私も」と嘘を言い、他人の意見に便乗する(他人を利用する)。

 ③。明らかに、反対の意見を言っていたが、相手の意見を聞くと、「私も」と、乗り換える。

  (1)。手の平返し(易々(やすやす)と意見を変えること)が、低能者(悪人)の状態だという認識(価値観)が無い、卑怯者である。

  (2)。「反対の意見を言っていたことは、無くならない事実」である。

    だが、「意見を乗り換えれば、反対の意見を言っていたことが、無くなる」と、いう妄想(価値観)を持つ。

  (3)。明らかに、反対の意見を言っていたが、相手の意見を聞くと、「私も」と、乗り換える場合、悪人の群れに受け入れられやすい(悪人に好まれる)。

    明らかに、反対の意見を言っていたが、相手の意見を聞くと、「私も」と、乗り換える場合、善人の群れから、削除されやすい。

 ④。まともな人の『心と考え』を備えている人は、明らかに、反対の意見を言っていたが、相手の意見を聞くと、「私も」と、乗り換えた人の意見を、嘘では無い現実の真実の意見であると、認識しない。

 ⑤。相手が有能者で、自分が低能者である状態を認識すると、自分の立場が有能者であると妄想する。

  (1)。自分は相手と同じものだと妄想する。自分は相手と同じ能力を持っていると妄想する。

  (2)。相手の「全て」をモノマネして、相手に「成りきる」行動を行う場合もある。

 ⑥。相手が有能者で、自分が低能者である状態を認識すると、自分の仲間に入ろうとする。

<5>。「私、知っているの」

 ※補足1。『5人組や、5人組の仲間達』の、この言葉は、嫌がらせ(悪事)以外で、発言されることは無い。

 ①。あなたが不幸(低能)な状態であることを、私は知っていると、いう主張である。

  (1)。自分は有能で、相手は低能であるという表現である。

  (2)。情報を持っているという主張(状態)が、悪人の生存方法として、当然(普通)のことなので、生まれ付き、自然に悪人が行う嫌がらせ(悪事)である。

  (3)。悪人の嫌がらせの大半がそうであるように、相手に攻撃を受けないだろうという予測を持って、行われる嫌がらせで(悪事)ある。

  (4)。あなたが知らないことを、私は知っていると、いう主張である。

 ②。同時発生の、それを見ていた他の悪人が、その嫌がらせを否定して、自分が有能であると表現する場合がある。

  (1)。それを見ていた他の悪人は、その悪事を行った悪人を否定する行動をする。

  (2)。それを見ていた他の悪人は、その悪事を否定することで、自分はその悪人とは違う有能者であると、表現する場合がある。

  (3)。それを見ていた他の悪人を利用して、自分を有能者(善人)に見せ掛ける、悪人の手段である。

  (4)。それを見ていた他の悪人を利用して、自分を有能者(善人)に見せ掛ける、悪人の自分だけは助かろうとする手段である。

  (5)。悪人の、被害者に取り入る(善人の群れに潜入する)手段である。

 ③。「★2の<5>の②」とは別に、まともな人の『心と考え』を備えている人の価値観では、この嫌がらせは悪事なので、行った悪人を否定する行動をするべきである。

  (1)。悪人が、善人であると、見せ掛けるのではなく、まともな人の『心と考え』を備えている人も、悪事を行った悪人を否定する。

  (2)。悪人が、善人であると、見せ掛けることは悪事であり、まともな人の『心と考え』を備えている人が、正当な正しい行動をするのは、当然(善行)のことである。

<6>。「私、辞める」

 ①。「私は、悪事を辞める」、「私は、悪人と一緒に行動することを辞める」などの表現であり、「辞めることで解決できない状況(状況の解決方法にならないこと)」、などの場合に、安易に発生する。

 ②。悪人は、悪事を行ったのに、罰を受けずに、悪事を行うことを辞めれば、全てが解決すると考える。

  (1)。悪事を行った事実が、悪事を行うことを辞めれば、全て無くなると考える。

  (2)。悪人は、その場から逃げることで、罰を受けることを解決して先祖から生き残ってきたので、「辞める(逃げる)と、解決する」と考えやすい(価値観を持っている)。

  (3)。現実の真実として、悪事を行ったこと(事実)は、悪事を行うことを辞めても、罰を受けなければ、無くならない。

 ③。悪人が、逃げ切れないと判断(認識)した場合にも、発生しやすい発言である。

  (1)。「反省している」、「自分は本当は悪人では無い」などに、見せ掛ける(誘導する)為の発言である。

 ④。悪人は、悪事を辞め、その後、罰を受ける(反省する、改善する)こともなく、普通の生活をする(行おうとする)場合が多い。

 ⑤。つまり、悪人は、悪事を大きなもの(重要なもの、大事(おおごと))ではないと、認識している。

<7>。「彼女は辞めないな」

 ①。「自分は間違えていた、これからは間違えないから大丈夫」と、いう主張である。

  (1)。この主張は、正当な理論ではない、証が無い、実績が無い、言い逃れ、妄想、嘘の主張である。

  (2)。現実の真実としては、「本当は、間違えていることを(悪事であることを)、知って(自覚して)いたのに、(悪事を)行った」である。

  (3)。現実の真実としては、「今後も間違い(悪事)を続ける(長い歴史に、正しかった(成功した)実績は無い)」である。

  (4)。現実の真実としては、正しいことをする(成功する)という結果になる為の、原因(要素)が無い状態である。

    現実の真実としては、正しいことをする(成功する)という結果になる為の、正当な理論が無い状態である。

    現実の真実としては、「正しいことをする(成功する)」という妄想(嘘)が有るだけである。

 ②。絶対に負けることが無い神が、主張を曲げることは、ありえないことである。

  (1)。だが、『5人組や、5人組の仲間達』は、あり得ないことを、あり得ると妄想して、間違ったことを行っているから、この発言が出るのである。

  (2)。神が正しい主張を曲げることは無いが、『5人組や、5人組の仲間達』は、神の正しい主張を曲げさせようと行動する。

  (3)。『5人組や、5人組の仲間達』は、不可能なことを、可能であると妄想して、私や<善人の仲間>の邪魔をしている。

  (4)。神は正しい主張を辞めない。神は諦めない。

  (5)。『5人組や、5人組の仲間達』の駆除以外の、現状の解決法は無い。

 ③。既に、絶対のこととして確定していたことであるが、「今、知った(分かった)」という主張である。

  (1)。「自分は、知らなかったから、(悪事を)行っていた」、「知っていたら、(悪事を)行わなかった」と、いう主張である。

   1。現実の真実としては、「知っていても、(悪事を)行った」である。

   2。現実の真実としては、「知っていたが、(悪事を)行った」である。

  (2)。「知らなかったならば、仕方がないと思ってもらえる」と、いう主張である。

  (3)。「知らなかったならば、低能者ではないと、思ってもらえる」と、いう主張である。

  (4)。「知らなかったならば、許される」と、いう主張である。

  (5)。「今、知ったから、今までの自分の行動は失敗したわけではない」と、いう主張である。

   1。「自分の負けではない」、「自分は低能者ではない」と、いう主張である。

  (6)。現実の真実として、当然のこと(まともな人の『心と考え』を備えている人は、既に知っていたこと)であったが、『5人組や、5人組の仲間達』は、「今、知った(分かった)」と、主張している状態である。

<8>。「〇〇じゃないと、いけないんだ」

 ①。決めつける。勝手な解釈。妄想。

  (1)。相手の正論への否定である。

  (2)。現実の真実として、全ての状況に臨機応変に判断して行動するという、正しい生き方の為には、その状況に合う柔軟な発想(判断)が無い、1つに決めつける状態ではいけない。

 ②。曲解をすることで、間違った解釈をすることで、現実逃避をして行動する。

  (1)。「故意に」、間違った解釈を正しいと認識して、「故意に」、その間違った解釈を使った行動をする。

  (2)。自分が、間違った解釈をして、間違った行動をすることで、相手に嫌がらせを行えるという価値観である。

 ③。『5人組や、5人組の仲間達』は、故意ではない場合も、間違った解釈を行う。

  (1)。『5人組や、5人組の仲間達』は、正しい理論や、正しい認識をすることが出来ないから。

 ④。『5人組や、5人組の仲間達』は、間違った解釈からの判断(主張)を、他人に強要する。

<9>。「〇〇というのはね」(眼鏡女、目細女の場合が多い)

 ①。相手の正当な行動への批判。イチャモン。オウム返しである。

 ②。その主張を裏付ける、正当な理論(理由、証拠)は言わない(無い)が、とにかく否定を行う。

  (1)。この否定を聞いた『5人組や、5人組の仲間達』は、悪事を行う理由が出来たと受け取る。

   1。『5人組や、5人組の仲間達』は、自分は、指示を受けたことを、行っただけであると認識する。

   2。『5人組や、5人組の仲間達』は、自分は、困っている人を、助けただけであると認識する。

    ※補足1。『5人組や、5人組の仲間達』は、困っている人の主張の、理論の詳細(主張の正当さ)は確認しない(悪事を行う判断に関係ない、構わない)。

    ※補足2。『5人組や、5人組の仲間達』は、困っている人の主張の、善悪の判断(主張の正当さ)は確認しない(悪事を行う判断に関係ない、構わない)。

   3。現実の真実として、悪事を正当化できていない。

    現実の真実として、悪事は悪事であり、悪いことであることに変わりはない。

 ③。現実の真実として、正当な行動への批判は、悪事である。

<10>。「これはダメ」

 ①。正義の人が、悪人の駆除(正しいこと)を行っていると、駆除の進め方(過程、手順)を部分的に捉えて、批判する。

  (1)。正義の人が、悪人を攻撃すると、「攻撃したこと」の単品(部分的)を捉えて、悪いことであると認識(主張)する。

  (2)。現実の真実として、全体を捉えると、正義の人が悪人を駆除している、善行であることが分かる。

 ②。正しい判断には、全体を大きく捉える必要がある。

  (1)。判断に使う、認識する範囲は、「大きければ、大きいほど」、「多ければ多いほど」良い。

  (2)。部分的な認識では、正しい判断が出来ない。

  (3)。全体として、見えてない(知らない)部分に、何があるのか、知るべきである。

    批判の前に、正しいこと(現状を深く詳しく知る、正しい情報、何故なのか)を知るべきである。

 ③。現実の真実として、正しいことを批判することは悪事である。

  (1)。正しいことが行われているのに、本能的な恐れから、悪いことが行われていると、間違った解釈をしてはいけない。

  (2)。正しいことが行われているのに、本能的な恐れから、早く終わらせ(逃げ)たくて、出鱈目な判断からの、間違った解釈(行動)をしてはいけない。

 ④。『5人組や、5人組の仲間達』は、「与えてあげているのに、感謝しないのは悪い」という価値観から、正当な幸せを手に入れている人から、幸せを奪う。

  (1)。私や<善人の仲間>が、正当な幸せを手に入れている状態から、幸せを奪う場合の、「悪事を行う(幸せを奪う)、理由(イチャモン)」や、「悪人の仲間への、悪事の誘導(仲間の悪人は指示が出た等と、受け取る)」である。

  (2)。善人が正論として、悪人を否定すると、「自分を否定したから悪い」と妄想(悪人の間違っている価値観)を理由(イチャモン)にして、正当な幸せを手に入れている人から、幸せを奪う。

    現実の真実として、正しいことを間違っていると主張(批判)する、悪人が悪い。

  (3)。善人が正しいこととして、悪人を削除(攻撃)すると、「自分(悪人)を削除(攻撃)したから悪い」と妄想(悪人の間違っている価値観)を理由(イチャモン)にして、正当な幸せを手に入れている人から、幸せを奪う。

    現実の真実として、正しいことを間違っていると主張(批判)する、悪人が悪い。

  (4)。『5人組や、5人組の仲間達』は、「与えてあげたのに、自分を敬わないから悪い」と妄想(悪人の間違っている価値観)を理由(イチャモン)にして、正当な幸せを手に入れている人から、幸せを奪う。

    1。元々として、本来として、正当な状態として、善人が、正当な幸せを手に入れている状態は、当然の状態である。元々あった状態である。あるべき状態である。

    2。元々の、本来の、正当な状態として、善人が、正当な幸せを手に入れている状態を、『5人組や、5人組の仲間達』が奪った(壊した)状態である。

    3。現実の真実として、『5人組や、5人組の仲間達』の、「与えてあげた」という理論は、成り立たない。

    4。現実の真実として、良いこと(善行)とは、見返り(自分が敬われる、利益がある)を求めないで、行うことなので、「与えてあげたのに、自分を敬わないから、相手は悪い」という理論(主張)は、成り立たない。

    5。「自分が相手に与えてあげたのに、相手が自分を敬わないから、相手は悪い」という理論(主張)は、悪人の理論(妄想、価値観)である。

  (5)。善人が、正当な幸せを手に入れるのは、正当なこと(権利)であり、『5人組や、5人組の仲間達』が、その幸せを奪うことは、悪いこと(阻止するべきこと)である。

  (6)。善人が、正当な幸せを手に入れるのは、正当なこと(権利)であり、『5人組や、5人組の仲間達』が、その幸せを奪うか奪わないかの判断をしたり、強要をすることは悪いこと(阻止するべきこと)である。





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Author:神共 歩(しんとも あゆむ)
ただ今、「小説家になろう(外部サイト)」で無料小説を書いています。
 世の中を良くする方法を、とりあえず小説で書くことから初めてみようかなっと思いまして・・・
 分かりにくい表現や、誤字などがあるかと思いますが、今(2019/5)はかなり忙しくて直せません。内容はとても重要なことだと考えているのですが、生活に関して忙しいのです。3年以内に誤字などが直せたら上出来だと思っています。申し訳ありませんが、しばらくお待ちください。

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