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◎おすすめの本(感想・レビュー・内容)
南無阿弥陀仏―付・心偈 (岩波文庫) 著者:柳 宗悦 (感想・レビュー・内容) (記事No.6)
古本屋の前の段ボール箱の中に、安売り本として無造作に入っていたのを見つけたのが、この本との出会いである。
とくに欲しかったわけでは無いが、有名で歴史ある他力門だから、多くの人が認めた、良い知恵が書かれているのではないかと推察し、「南無阿弥陀仏」を知らずに人生が終わるのは、人類の英知を知らずに通り過ぎてしまうような、残念な人生かなっと思って、購入した。
私は、自分の神(本当の実在の神)を持っているので、他力門への信仰心は無いが、いざ困ったときには、今でも「南無阿弥陀仏」と唱えることがある。
なぜなら、幼少期に手術を受ける前、祖母から「南無阿弥陀仏」と唱えると良いと教わり、泣きながら、痛いのを我慢しながら「南無阿弥陀仏」と唱え続けた経験があり、自分の神を見つけるまでの、20代後半ぐらいまで、いざという時「南無阿弥陀仏」を繰り返し唱えることで、苦難を乗り切って来た経緯があるからである。
無心に「南無阿弥陀仏」を繰り返し唱え続けると、他の事に意識がいくのが防げるし、余計な考えに支配されなくても済むので、とても助かっている。
生きていくための知恵のようなものだと考えている。
「南無阿弥陀仏」という言葉の音を、気持ちよく感じられた人が、私の先祖に多いのかもしれないが、何度も唱えていると、なんだかボンヤリするような状態になる。
苦痛を一時でも、やわらげたり、少なくしたり、そんな効果を感じる。
さて、【本の内容】だが、
簡単にいうと、著者が「南無阿弥陀仏」を研究した論文である。
さすが岩波! いい本である!
「南無阿弥陀仏とは、何か」の考察がずっと続く。
私が本の内容で、一番気に入った部分は、「南無阿弥陀仏」とは、「他力門の、これ以上ない、真理への到着点」だという考察である。
「登り切った。もう、これ以上はない!」が、発見され、それが「南無阿弥陀仏」なのである。
読み終わったときに、なるほど、他力門は登り切った、山頂を見つけた、と、思った。
もう、これ以上の他力は、ないのだから。
ただ、他力の実行は、現実的には難しいかと・・・。
「もう、本当に自力では何もできない」という状態だと、他力に頼るしかないが、「元気なうち」や、「やれる事が有るうち」は、自力も必要である。
「誰かが、やらなくては、ならない事」も、多いのだから。
やるために命を使うという生き方も、正しい世界の構成には必要である。
自力&他力を両方使い、各自が、各自の人生に必要なバランスで、臨機応変に生きた方が、良い人生になると思う。
【基本的に自力だけど、自力で無理な部分は、他力でお願いする】=これが上手な生き方である。
※1。他の人に、お願いできることは、お願いしてもよい。お願いした方が、効率的なこともある。
※2。自力で出来るのに、怠けているだけの他力は、ダメ。
※3。他力にするか、自力にするか、判断に注意。「自分」の「心と考え」の判断が重要である。
※4。ちなみに、他力門は、神様をどれだけ信じ切れるかが、重要になる。
少しでも疑いがあると、上手く使えない。
他力なのに、自力を使うのは、間違いであると思う人は、
他力のために、自力を行うと考えると、バランスが取りやすいかもしれない・・・。
<例えば>
<1>。神が幸福を用意した世界で、神が用意した幸せを、神から貰うために(他力)
→神の駒として、神の望む世界を作る(自力)。
<2>。人が正しく生きるのが神の望み(他力門)
→神の為に、正しく生きる(行動)(自力)。
「出来ないなら私が救おう。出来てる人は、それはそれで良い」って、阿弥陀さまも、なるから。
健康で元気なうちは、自力をいくら使えるかによって、人生の実りが多くなる。
世界をよくする為には、やることが山済みだから、神のために、世界のために、勇者的に、自力で切り開くことも必要となる。
とくに欲しかったわけでは無いが、有名で歴史ある他力門だから、多くの人が認めた、良い知恵が書かれているのではないかと推察し、「南無阿弥陀仏」を知らずに人生が終わるのは、人類の英知を知らずに通り過ぎてしまうような、残念な人生かなっと思って、購入した。
私は、自分の神(本当の実在の神)を持っているので、他力門への信仰心は無いが、いざ困ったときには、今でも「南無阿弥陀仏」と唱えることがある。
なぜなら、幼少期に手術を受ける前、祖母から「南無阿弥陀仏」と唱えると良いと教わり、泣きながら、痛いのを我慢しながら「南無阿弥陀仏」と唱え続けた経験があり、自分の神を見つけるまでの、20代後半ぐらいまで、いざという時「南無阿弥陀仏」を繰り返し唱えることで、苦難を乗り切って来た経緯があるからである。
無心に「南無阿弥陀仏」を繰り返し唱え続けると、他の事に意識がいくのが防げるし、余計な考えに支配されなくても済むので、とても助かっている。
生きていくための知恵のようなものだと考えている。
「南無阿弥陀仏」という言葉の音を、気持ちよく感じられた人が、私の先祖に多いのかもしれないが、何度も唱えていると、なんだかボンヤリするような状態になる。
苦痛を一時でも、やわらげたり、少なくしたり、そんな効果を感じる。
さて、【本の内容】だが、
簡単にいうと、著者が「南無阿弥陀仏」を研究した論文である。
さすが岩波! いい本である!
「南無阿弥陀仏とは、何か」の考察がずっと続く。
私が本の内容で、一番気に入った部分は、「南無阿弥陀仏」とは、「他力門の、これ以上ない、真理への到着点」だという考察である。
「登り切った。もう、これ以上はない!」が、発見され、それが「南無阿弥陀仏」なのである。
読み終わったときに、なるほど、他力門は登り切った、山頂を見つけた、と、思った。
もう、これ以上の他力は、ないのだから。
ただ、他力の実行は、現実的には難しいかと・・・。
「もう、本当に自力では何もできない」という状態だと、他力に頼るしかないが、「元気なうち」や、「やれる事が有るうち」は、自力も必要である。
「誰かが、やらなくては、ならない事」も、多いのだから。
やるために命を使うという生き方も、正しい世界の構成には必要である。
自力&他力を両方使い、各自が、各自の人生に必要なバランスで、臨機応変に生きた方が、良い人生になると思う。
【基本的に自力だけど、自力で無理な部分は、他力でお願いする】=これが上手な生き方である。
※1。他の人に、お願いできることは、お願いしてもよい。お願いした方が、効率的なこともある。
※2。自力で出来るのに、怠けているだけの他力は、ダメ。
※3。他力にするか、自力にするか、判断に注意。「自分」の「心と考え」の判断が重要である。
※4。ちなみに、他力門は、神様をどれだけ信じ切れるかが、重要になる。
少しでも疑いがあると、上手く使えない。
他力なのに、自力を使うのは、間違いであると思う人は、
他力のために、自力を行うと考えると、バランスが取りやすいかもしれない・・・。
<例えば>
<1>。神が幸福を用意した世界で、神が用意した幸せを、神から貰うために(他力)
→神の駒として、神の望む世界を作る(自力)。
<2>。人が正しく生きるのが神の望み(他力門)
→神の為に、正しく生きる(行動)(自力)。
「出来ないなら私が救おう。出来てる人は、それはそれで良い」って、阿弥陀さまも、なるから。
健康で元気なうちは、自力をいくら使えるかによって、人生の実りが多くなる。
世界をよくする為には、やることが山済みだから、神のために、世界のために、勇者的に、自力で切り開くことも必要となる。
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